今回は連休を利用してカンボジアへ行ってきました。行きはタイ・アジアエアXで帰りはキャセイパシフィックでした。一泊二日の弾丸ツアーでしたが往復とホテル代で9万弱かかりました。やはりLCCをつかっても日本の連休にあわせて値段が高くなっていたのでしょうか。
いつものようにプノンペンから車で一時間ほどの田舎へ診察に行きました。糖尿病と高血圧が多いのは日本と同じです。たくさんのお米を、塩辛くて油の多いおかずで食べ、運動はしないので当然なのかも知れません。太っている人もたくさんいます。現地の人も、高血圧や糖尿病は体に悪いことだとは知っていますが、日本のように医療機関に簡単にかかることができません。医療機関の不足の問題や医療費の問題もあるのだと思われます。スポーツをするという考えもないようです。現地の人は、自分たちは一切運動はしないといっていました。我々から見ると貧しい生活をしている発展途上国の人々には、生活習慣病はないと考えている人はたくさんいると思います。現代日本には生活習慣病という呼び方は的を得ていると思いますが、糖尿病や高血圧症などは経済的に恵まれているから起こった状態ではなく、人間が生物として本来持っている弱点が生活習慣に責められて起こった病態なのです。曰く、人類進化の途上ではあり得なかった炭水化物の過剰摂取、あり得なかったアルコールの過剰摂取、あり得なかった運動不足。アルコールは摂れたでしょうが熟した果実から少量だったはずですし、生活するためには動かざるを得なかったでしょう。コレステロールや塩や動物性脂肪は栄養価が高いにも関わらず手に入りにくかったからこそ、それを追い求めて効率よく摂取するために、おいしいものだと本能が命令しています。生物としてはカロリーを消費しないように動くなと本能が命令しています。種を存続させるために必要な本能が、飽食の時代には真逆に働いています。おいしいものを食べたい、さぼりたい、という生物として正しい本能が、今や人間という生物種の保存の邪魔をしています。
医療は継続です。テレビなどからは、発展途上国での医療活動は野戦病院での活動のようなイメージが浮かんでくると思います。何でもそうですが、さまざまな医療を含む様々な協力活動には、視聴率の取れない地味な部分が相当含まれています。
人間が様々な社会活動を普通に行うために一番必要なことは、将来に対する安心だと思います。経済的な安心、医療的な安心、これらがあってこそ社会の営みが紡がれてゆくのだと思います。我々がしている医療活動はほんの小さな協力にすぎません。それでも安心への小さな支えになればよいと思います。
そんなお題目的なこともさることながら、資金と時間と協力者があれば、現地の人々を対象にどのような病気がどのような環境下で多いのか、公衆衛生の問題はどうなのか、教育が健康に及ぼす影響はどうなのか、経済的な発展がどのように人々の健康や将来の安心につながっているのかなど、データをとってみたいと夢想しています。
今回カンボジアの首都プノンペンを訪れて、新首相の下で中国の影響がどのようにあるのか、国民の生活が見た目でどのように変化していっているのかなど、現地で感じたことを次回に書いてゆきたいと思います。ニュースや時事報道からの情報を知らなければ国を語るには話になりませんし理論研究も大事です。しかしながら、現地の空気・手触りからはまた違った感触があり、なかなか面白い知見がありました。
blog医療協力でカンボジアへ行ってきました。
2019.05.06