連載・統制と市場のあいだ 第五回(最終回)
境界面に立つ開業医は、何をなしうるか
最終回は、これまで描いた構造のなかに一人の開業医が置かれたとき、そこから何が論理的に帰結するかを導く。これは「こうすべきだ」という提言ではない。構造が同じであれば、誰がその位置に立っても同じ帰結に至るはずの、導出である。
これまでを一文に畳めば、こうなる。医療は市場が失敗する財(市場に任せてもうまく配分されない財、という経済学の用語)ゆえに統制が標準であり、統制経済は無限の需要を価格以外の様式――日本では医師の労働――で配給する。そして価格を握る「国」は、財政・提供体制・物価という相異なる目的を持つ複数主体の綱引きであり、その綱引きが、削減対象と増勢主因のずれや、財と人のねじれを生む。この構造から、三つの帰結が導かれる。
■ 帰結その一――削減対象から、保護対象へ
「国」は単一でない。財政当局は外来開業医の報酬を削りたいが、医療所管官庁は提供体制を守りたい。両者が守る対象と削る対象は異なる。財政当局が照準を合わせるのは、損益率が高く見える外来単科の開業医である。他方、提供体制の側が守ろうとするのは、不採算でも地域に必要な機能――在宅医療、看取り、かかりつけ機能、連携、医療DXである。
ここから第一の帰結が出る。外来単科で損益率が高く見える位置に留まることは、綱引きのなかで最も削られやすい場所に立ち続けることを意味する。逆に、自院の比重を、提供体制の側が守ろうとする機能へ移していけば、守られる側の綱に乗ることができる。これは規範ではなく構造から出ている。国が複数主体の綱引きである以上、削られる位置と守られる位置は分かれており、その分かれ目を読んで守られる側へ移ることが、合理的な適応になる。
■ 帰結その二――労働を、資本と技術で代替する
日本の配給の通貨は、医師の労働時間であった。だが、この配給弁は二つの方向から逼迫している。一つは、働き方改革が労働時間そのものに上限を課し始めたこと。もう一つは、開業医自身の加齢である。労働時間で配給を支えるモデルは、制度からも、個人の生理からも、持続可能性を失っていく。
ここから第二の帰結が出る。労働強度で支えるモデルが逼迫する以上、それを資本と技術で代替する方向が要請される。事務の自動化、文書処理の機械化、連携の情報化――医師一人当たりの労働時間を増やさずに、同じ仕事量を維持する手段である。
ただし、この代替には明確な限界線がある。代替できるのは、健康な主体を相手にする部分――定型的な事務、健康な層への情報提供、軽症者の管理――に限られる。認知機能が低下した高齢者を相手にする、人と人とのかかわりとしての労働は、資本では代替できない。オンライン診療が掬えるのは、自分の身体を客観視できる比較的健康な層だけである。対面の代替不可能性は、患者が脆弱であるほど高まる。ゆえに資本代替は、労働の置き換えではなく、技術で代替できる部分を代替して、代替不可能な中核――脆弱な高齢者との対面――に、労働を集中させる手段なのである。
■ 帰結その三――摩擦を、障壁として味方につける
統制と市場の境界面には、絶え間ない摩擦が生じる。加算の届出、施設基準の維持、データ提出、DXへの対応――これらの事務的な負荷は、報酬を得るために支払わねばならないコストである。
だが、この摩擦には二面性がある。同じ摩擦が、事務能力と投資余力を持たない医院にとっては乗り越えがたい壁であり、それを持つ医院にとっては、競争を抑止する障壁になる。摩擦を支払えない医院が脱落し、支払える医院が残る。ここから第三の帰結が出る。統制の摩擦を、避けるべきコストとしてのみ見るのではなく、それを支払える能力を持つことで、競争上の障壁として味方につける、という視点である。ただし、摩擦を支払う(多くの加算を算定し、規模を大きくする)ほど、制度の運用が事後的に厳格化されたときの遡及的な影響も大きくなる。障壁を味方につけることと、規模ゆえのリスクを負うことは、同じコインの裏表である。
■ 三つの帰結の限界
三つの帰結は、一つの方向を指している。削減対象から保護対象へ比重を移し、逼迫する労働を資本で代替し、増える摩擦を障壁とする。だが、この戦略には限界がある。それを正直に述べておかねば、議論の規律に反する。
第一に、これらは、事務能力・投資余力・経営判断を持つ医院にとっての帰結である。それらを持たない医院――高齢で、事務に手が回らず、投資の余力もない、関係は厚いが規模の小さい診療所――にとっては、同じ構造が、適応の機会ではなく、静かな退場の圧力として作用する。この戦略は、勝てる側の戦略であって、提供体制全体の処方箋ではない。むしろ、この戦略が有効であること自体が、医療の二極化という、望ましくない帰結の裏面である。
第二に、この戦略は、医師を動かす第三の通貨――時間・自律・診療の質――を扱えていない。削減を避け、資本で代替し、障壁を築くことは、収益と存続の論理である。だが、医師が本当に働く理由は、収益にも存続にも尽きないかもしれない。診療の質や、自分の時間や、患者との関係といった、収益に還元されない価値が、医師の労働の核にある。構造への最適な適応が、医師であることの意味を満たすとは限らない。
■ 連載を閉じるにあたって
医療は、市場が失敗する財ゆえに統制を標準とし、その統制経済は無限の需要を医師の労働で配給する。その労働は、生涯を通じて金銭・キャリア・時間という異なる通貨に駆動される。価格を握る「国」は単一でなく、財政・提供体制・物価の綱引きであり、その綱引きが、削る相手と膨らむ原因のずれを生む。この構造のなかで、能力を持つ開業医は、守られる側へ比重を移し、労働を資本で代替し、摩擦を障壁とすることで適応しうる。だが、その適応は二極化の裏面であり、医師が働く本当の理由のすべてを満たすわけではない。
値段の付け替えは、痛みを移すことはできても、なくすことはできない。この一点を見据えることが、統制と市場のあいだに立つ、すべての議論の底にある。
