先日、エンレスト(サクビトリル/バルサルタン)の勉強会に参加しました。
エンレストについての勉強会ですから、当然、心不全に対する作用や降圧効果についての話が中心になります。しかし、今回の講演で印象に残ったのは、むしろ高血圧という病気を、単に「血圧が高い」という現象としてではなく、肥満、食塩感受性、腎臓、夜間血圧、左室肥大、そして心不全まで連続した病態として捉える考え方でした。
日本では、降圧薬による治療を開始した約130万人を対象とした研究で、治療後に130/80 mmHg未満を達成した人は26.7%だったというデータがあります。もちろん、130/80 mmHg未満を達成していない人がすべて「治療不十分」というわけではありません。年齢や腎機能、併存疾患、起立性低血圧などによって、個々の患者さんの治療目標は異なるからです。それでも、降圧治療を受けている人の約4分の3がこの値には達していないという事実は、高血圧診療を考えるうえで無視できない数字だと思います。
さらに、健診で高血圧を繰り返し指摘された人のうち、3か月以内に医療機関を受診するのは約4分の1にとどまるという話もありました。高血圧では、「発見されること」と「治療されること」の間にも大きな隔たりがあります。そして、治療を開始した後も、十分な降圧に到達しない患者さんが少なくありません。
高血圧は、思っているよりずっと若い時期から始まっている。
ここで肥満の問題が出てきます。
特に40歳未満では、肥満と高血圧との関連が強いことが知られています。さらに高校生程度の若年者でも、肥満と血圧との関連が認められるという話がありました。
肥満は単に体重が増えたというだけではありません。内臓脂肪の増加、インスリン抵抗性、交感神経活性の亢進、RAASの変化、腎におけるナトリウム再吸収、睡眠時無呼吸など、複数の機序を介して血圧調節そのものに影響します。
したがって、高血圧は40歳、50歳になって突然発症するというより、もっと若い時期からその基盤が形成されている場合があると考えた方がよいでしょう。
50歳未満で脳出血を発症した患者さんのうち、79%が発症前に高血圧治療を受けていなかったというデータも紹介されました。
若いから高血圧を心配しなくてよい、とは言えません。むしろ若年者では「自分はまだ高血圧になる年齢ではない」という認識そのものが、治療の遅れにつながっている可能性があります。
「肥満はうつる」という話
講演では、肥満について「感染する」と表現してもよいような、興味深い社会疫学的な話もありました。
もちろん、肥満が感染症のように人から人へ感染するわけではありません。しかし、肥満には明らかな社会的な集積があります。
家族や友人が同じような食事をし、同じように外食し、同じように運動不足になれば、肥満になりやすい生活環境が共有されることになります。「このくらい食べるのは普通」「これくらいの体重なら問題ない」という認識そのものも、周囲の人間関係から影響を受けます。
肥満を個人の意思だけの問題として考えることが難しい理由は、ここにもあります。そして、若年期の肥満と高血圧との関連を考えると、この社会的な側面は決して小さくありません。
もう一つの重要な問題が「食塩感受性」です
ここから話は少し変わります。
同じ量の食塩を摂取しても、血圧がほとんど変化しない人がいる一方で、食塩を負荷すると翌日から血圧が上昇する人がいます。これが食塩感受性の違いです。
食塩感受性は、単純に「塩をたくさん食べたから血圧が上がった」という話ではありません。腎臓がナトリウムをどの程度排泄できるか、体液量がどう変化するか、心拍出量がどう変わるか、末梢血管抵抗がどう変化するか、といった複数の調節機構の結果として現れます。
例えば食塩負荷によって心拍出量が増えても、末梢血管が拡張して血管抵抗が低下すれば、血圧の上昇はある程度抑えられます。一方、食塩感受性が高い人では、この代償機構が十分に働かない、あるいは腎臓によるナトリウム排泄が十分に行われないことで、血圧が上昇しやすくなると考えられます。
つまり、同じ「塩を食べた」という出来事でも、その後の血圧反応は人によってかなり違うわけです。
腎臓が悪くなると、なぜ夜間血圧が上がるのか
ここで腎臓が重要になってきます。
腎臓はナトリウムを排泄することで体液量を調節しています。しかし、食塩感受性が高い人や腎機能が低下している人では、昼間に十分なナトリウムを排泄できないことがあります。
その場合、身体は夜間にもナトリウムを排泄しなければなりません。そのためには、ある程度の腎灌流圧、すなわち血圧が必要になります。
本来、睡眠中には血圧が低下するはずです。しかし、ナトリウム排泄という観点から見ると、夜間に血圧が十分に低下しない、あるいは逆に上昇するという現象には、腎臓によるナトリウム処理が関係している可能性があります。
ここから、食塩感受性、腎機能、夜間高血圧という、一見別々に見える現象がつながってきます。
夜間高血圧の先にある左室肥大
夜間にも血圧が高い状態が続けば、心臓は睡眠中にも高い後負荷にさらされます。その結果として生じる重要な変化が左室肥大です。
左室肥大は単なる心エコー上の数字ではありません。高い血圧に対して心筋が適応した結果であり、その後の拡張障害や心房細動、さらには心不全へ進展する過程の一つと考えられます。
したがって、
食塩感受性
→ ナトリウム排泄の問題
→ 夜間高血圧
→ 左室肥大
→ 心不全
という一連の流れが成立する可能性があります。
この視点に立つと、診察室で測った血圧だけでは、高血圧によって心臓や腎臓に一日を通してどれだけの負荷がかかっているのかを十分に評価できないことが分かります。
では、エンレストはどこに関係してくるのでしょうか
エンレストの成分の一つであるサクビトリルはネプリライシンを阻害します。これによってナトリウム利尿ペプチド系の作用が増強され、ナトリウム利尿、血管拡張、RAASや交感神経系への抑制などが生じます。
つまり、エンレストは単純に「血圧を下げる薬」と考えるより、心臓、血管、腎臓、そしてナトリウム・体液量調節系にまたがって作用する薬として理解した方が、その特徴を捉えやすいと思います。
今回の講演では、心不全ステージB、すなわち症状はまだ明らかではないものの、左室肥大などの構造的異常を有する段階において、エンレスト投与後に左室肥大を示す複数の指標が改善したというデータが紹介されました。
これを「ステージBからステージAへ戻す」と表現するにはまだ慎重さが必要です。しかし、症候性心不全になる前の段階で心臓の構造的リモデリングを改善できる可能性は示唆されます。
心不全になってから治療するのではなく、心不全へ進展する前の段階で心臓の形態変化に介入する。これは、高血圧診療を考える上でも重要な発想ではないでしょうか。
そして、もう一つ重要なのが腎臓です
ACE阻害薬やARBでは、アンジオテンシンIIによる輸出細動脈の収縮を解除することで、輸出細動脈が拡張し、糸球体内圧が低下します。これは腎保護に重要な機序ですが、一方で治療開始後にGFRが低下し、クレアチニンが上昇することがあります。
ARNIでは、バルサルタンによるRAS阻害に加えて、サクビトリルによるナトリウム利尿ペプチド系の増強が加わります。その結果、輸入細動脈と輸出細動脈の双方を含む腎微小循環に影響し、糸球体内圧を調節する可能性が考えられています。
この違いが、血圧を低下させながら腎機能の低下を緩やかにすることにつながっている可能性もあります。
ここで重要なのは、「血圧を下げると腎機能が悪くなる」という単純な関係ではないということです。どの血管にどのような作用が生じ、その結果として糸球体内圧がどう変化するのかという、腎血行動態まで考える必要があります。
高血圧を「数字」だけで見ない
今回の勉強会を通して、高血圧を血圧の数字だけで評価することには限界があると改めて感じました。
若年期には肥満が高血圧の基盤となり、食塩感受性の高い人ではナトリウム負荷が血圧上昇につながる。腎機能が低下すればナトリウム排泄が難しくなり、夜間血圧が十分に低下しなくなる。そして夜間高血圧が左室に慢性的な圧負荷を与え、左室肥大から心不全へと進展する。
こう考えると、高血圧治療の目的は単に診察室血圧を下げることではありません。腎臓によるナトリウム処理、24時間の血圧変動、左室リモデリング、そして心不全への進展までを含めて、病態そのものをどこまで変えられるかという問題になります。
エンレストがそのすべてを解決する薬という意味ではありません。しかし、エンレストという薬剤を一つの入口として見ることで、高血圧、腎臓、食塩、夜間血圧、左室肥大、心不全が、実は一つの連続した病態としてつながっていることが見えてきます。
高血圧を「血圧の病気」としてだけ見るのではなく、心臓と腎臓を結ぶ慢性的な病態として見ること。 今回の勉強会で示されたデータからは、そのような視点の重要性が示唆されているように思います。
