神経系を持つ生物で、外界刺激にリアルタイムで反応して生きてゆける動物は全て眠ります。クラゲのような脳がない動物でも神経系があるので眠ります。睡眠中は外界刺激に対して鈍くなるので、睡眠は生存に不利なはずなのに動物はなぜか寝るのです。ヒトでは、睡眠不足になると脳のパフォーマンスが下がるだけでなく、感情のコントロールや人格的なインテグリティも低下します。その一方で過眠はできないことが分かっています。
長時間睡眠は健康に悪いといわれていますが、実はこの説の根拠になる睡眠時間は客観的なデータではなく自己申告によるものです。過眠が認知機能に悪いのではなく、認知症の早期兆候が過眠である可能性もあり、実際に老化によって睡眠のサーカディアンリズムは乱れます。睡眠障害は睡眠障害国際分類第3版ICSD-3では約70種類に分類されますが、国際疾病分類ICDの第11版になってようやく臨床と研究の両方での睡眠分類の足並みがそろいました。一方で、医学教育では専門分野としての睡眠学は教育の対象になっておらず、睡眠学自体も発展途上の黎明期の学問分野です。従って、これからもしばらくは睡眠障害の臨床には混乱が続くと考えられます。
それでも実際の臨床の場では睡眠障害の診断方法が進化しています。睡眠を客観視するデバイスの一つに、筑波大学初のスタートアップ企業が開発したInSomnografというものがあります。脳波を測定しながら睡眠を解析し可視化する装置で、家庭で測定ができます。これによるデータ分析によると、睡眠障害を持つ人の60%が実は睡眠障害ではなく睡眠誤認でした。この睡眠誤認の神経科学的なメカニズムについてはまだわかっていません。中には、不安や抑うつのバックグラウンドを持つ不眠恐怖症のような人も含まれているのではと言われています。現在の実臨床では、睡眠障害患者の自覚だけに基づいて治療を行っているのが現状であり、まだまだ睡眠障害の客観的自覚的な実態はわからないことばかりです。
かつてよく処方されていたベンゾジアゼピン系の睡眠薬を使っている人には、この薬がないと絶対に眠れないという人もかなり多く、これは実際の診察の場でよく遭遇します。このタイプの薬はふらつきから転倒骨折をきたしたり、薬剤が効いている間は無自覚に認知機能が低下したり、夢游症状など異常行動が発現することがあります。お風呂で亡くなる原因のかなりの割合がこのタイプの薬がかかわっているという説があります。しかしながら、「絶対にやめられない」と自分で言う人を作ってしまう薬でもあります。実際にこの薬を漸減または中止するために、睡眠とはいかなるものか、眠るために必要なことは何か、眠れないときはどのように考えて行動するか、などを理論的に説明しようとしても、理性的な判断を妨げて感情的に話が聞けない状態を作る薬という気もします。判断能力を子供っぽく後退させてしまうのでしょうか、あるいは理性的な判断能力が弱い人が睡眠薬依存症になりやすいのでしょうか。睡眠薬依存にはどちらの影響もかかわっているのでしょうか。