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2026.06.29

 

これまで論じてきた医療・歯科・薬局は、いずれも国家資格と公定価格という二重の統制の内側にあった。ところが、肩や腰をほぐし、体を整える施術の世界には、統制の内と外が、複雑に入り混じっている。同じように「体を整える」のに、保険が一部使えるものと、まったく使えないものがある。その境界は、どこにあり、なぜそこに引かれたのか。これは、統制の内と外を分けるものは何か、という問いでもある。

■ 三つの異なるもの

世間で「整体」とひとくくりにされるものの中には、制度上まったく違う三つが混じっている。

第一に、柔道整復師。国家資格があり、骨折・脱臼・打撲・捻挫・挫傷という急性のケガに限って、療養費という形で保険が使える。整骨院・接骨院がこれにあたる。第二に、はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師。これも国家資格があり、医師の同意書があれば、限られた疾患に一部保険が使える。第三に、整体・カイロプラクティック。これは国家資格がなく、保険も一切効かない、完全な自由診療である。

この三つは、統制経済の地図の上で、まったく違う場所にいる。無資格の整体は統制の外、柔整は統制の境界、あはきは医療とは別の論理での統制。順に見ていきたい。

■ 統制の外――なぜ無資格の整体が成り立つのか

国家資格を持たない整体やカイロプラクティックが、なぜ堂々と営業できるのか。その根拠は、半世紀以上前の最高裁判決にある。かつては、無資格で医業に類する行為を業とすれば、それだけで処罰された。ところが昭和三十五年、最高裁は、処罰できるのは「人の健康に害を及ぼすおそれがある」場合に限る、と限定した。

この判決が、今日まで影響を与えている。無害な範囲の手技であれば、無資格でも、禁止も処罰もできない。だから整体は、免許も要らず、届け出もなく、誰でも明日から開業できる。参入も価格も完全に自由な、統制の外の世界である。ただし、これは「無害である限り」という条件付きの自由でもある。頚部に急激な力を加えるような危険な手技で実際に害が生じれば、処罰されうる。自由の裏には、効果の保証も、国の保護も、ない。

■ 統制の境界――柔整と、医師の同意書

柔道整復師は、もともと武術の中で、骨折や脱臼を手当てする技術として発達した。急性外傷の処置という医療的な実態があったため、その範囲に限って、保険の内側に入れられた。骨折・脱臼の施術には、緊急時を除き、医師の同意が要る。これは、柔整師が医師の診断領域に踏み込むときの安全弁である。

ここに、構造的な難しさがある。保険が使えるのは急性のケガだけだが、整骨院を訪れる人の多くは、慢性の肩こりや腰痛を抱えている。慢性症状には、保険が使えない。この、保険の対象とそうでないものの境界が、現場では曖昧になりやすい。実際、療養費は十年ほど前をピークに、約二割減少した。その背景には、財政都合の抑制というより、慢性症状を急性のケガとして請求するような不適切な事例への、取り締まりの強化がある。これは個々の施術者の問題というより、支給の基準そのものが曖昧で、線引きが現場に委ねられているという、制度の構造に根がある。医師が同意書を書くとき、その必要性を判断しにくいのも、同じ曖昧さの表れである。

■ 福祉の論理――あはきと視覚障害者

あん摩・はり・きゅうが国家資格として特別な地位を得たのには、医療経済とは別の、もっと古い理由がある。これらは、江戸時代以来、目の見えない人々の主要な生業だった。視覚に頼らず、手の感覚でできる専門職として、視覚障害者の生計を支えてきた。

この歴史は、法律に書き込まれている。あはきに関する法律には、視覚障害者であるあん摩マッサージ指圧師の生計を守るため、必要があるときは、目の見える人を養成する学校の新設を制限できる、という規定がある。健常者の職業選択の自由を、社会的弱者を守るために制限する、極めて異例の条文である。これは近年も最高裁で合憲と判断された。視覚障害者のあん摩師の年収が、晴眼者の半分以下にとどまるという現実が、その根拠とされた。つまり、あはきの統制は、医療の質や財政ではなく、視覚障害者の福祉という、まったく別の論理で行われている。

■ 乱立と過剰――もうひとつの分岐

同じあはき法の傘の下にいながら、運命が分かれた。あん摩マッサージは、視覚障害者保護の規定によって、晴眼者向けの養成が制限され、供給過剰が抑えられた。ところが、柔整と、はり・きゅうには、それに相当する規定がない。そのため、ある裁判で国が養成施設の規制に敗れて以降、学校が乱立し、供給過剰に陥った。

過剰になった供給は、限られた保険(療養費)の枠を奪い合う。その奪い合いが、不適切な請求の温床にもなった。先に見た療養費の縮小は、この過剰と無縁ではない。供給が増え、保険の枠は不正対策で締まる。この鋏状の状況が、施術者を、保険の外の自由診療へと押し出していく。

■ 一本に畳む

「体を整える」という似た営みが、無資格で完全に自由な整体、急性外傷ゆえに保険の境界に置かれた柔整、視覚障害者の福祉という別の論理で保護されたあはきへと、三つに分かれている。統制の内と外を分けたのは、医療としての実態、害の有無をめぐる司法の判断、そして福祉という社会の価値選択であった。統制経済の境界線は、医療の論理だけでなく、歴史と社会の選択によって引かれている――この分野は、そのことを最もよく示している。

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