日本の医療を統制経済として論じてきたが、その議論は、ひとつの前提の上に成り立っていた。配給すべき医療が、ともかくも全国に存在する、という前提である。世界に目を向ければ、その前提すら成り立たない国は多い。医療が、富裕層と都市部にだけ存在し、大衆には見えてさえいない世界。筆者が実際に勤務や滞在で関わった東南アジアの国々を手がかりに、私の経験と知見を交えてその姿を描いてみたい。
■ 配給の手前にある、存在の問題
日本の統制経済の議論は、「無限の需要を、どう配給するか」という問いを軸にしていた。だがこの問いは、配給すべき供給が一定量あって初めて成り立つ。発展途上国では、供給そのものが絶対的に足りない。医師も、看護師も、設備も、決定的に不足している。だから、配給の問題の手前に、存在の問題がある。
カンボジアでは、一般の人々が、自国の医療をそもそも信用していなかった。一方で、ベトナムでは医師は一定の尊敬をもって扱われ、医師も誇りをもって仕事をしていた。この差は、各国の発展段階と歴史を映している。医療従事者の蓄積が浅い国、あるいは歴史的な断絶を経た国では、医療への信頼が育っていない。そして最も深いところでは、大衆にとって、まともな医療は、人生の選択肢としてそもそも認識されていない。アクセスできない以前に、視界に入っていないのである。あるカンボジア人は病気になったときに、国境を越えてベトナム領に入り、そこで手術を受けて命が助かったと言っていた。全く自国の医療を信じていない。
■ 頭脳流出ではなく、出血
医療従事者を、世界へ輸出する国もある。フィリピンは世界第一位の看護師輸出国であり、医師の輸出でも世界有数である。看護師免許を持つ者の半数が、国外で働く。賃金の低さゆえに、人材が国境を越えて流れ出ていく。
最も劇的なのは、医師が看護師に資格を「下げて」アメリカに流出する現象である。自国の医師より、アメリカの看護師のほうが高給だからだ。国境の内か外かが、資格の上下よりも収入を決める。この誘因のねじれが、人材を吸い出す。一方、フィリピンの看護師はイギリスに流出していた。看護師がアメリカへ行くには、試験のハードルがたかかったからである。フィリピンの元高官は、この事態を「頭脳流出ではなく、脳出血である」と評した。流出という穏やかな言葉では足りない、出血だ、と。一方、フィリピンの看護師はイギリスに流出していた。看護師がアメリカへ行くには、試験のハードルがたかかったからである。
しかも、フィリピン政府は、外貨獲得の手段として、医療従事者の海外就労を、むしろ促進している。海外で働く彼らの送金が、経済の柱だからである。国家が、自国民の医療を犠牲にしてでも、医療従事者を輸出品として送り出す。大衆に医療が見えないのは、国家自身が、大衆の医療より外貨を優先しているからでもある。
■ 一流の頭、二流の土台
では、流出せずに残った最上層はどうか。フィリピンの富裕層のための病院では、アメリカで修業した医師たちが、最新の知識で医療を提供している。だが、その同じ病院で、手術室の衛生や麻酔の安全管理といった体制は、先進国の水準に届かないことがある。一流の知識を持つ医師が、二流のシステムの中で働く、という捻れである。
この捻れの核心は、医師個人の知識は外国で育てて輸入できても、それを支えるシステムの総体は輸入できない、という点にある。清潔な手術室、安全な麻酔体制、訓練された支援者の層、薬剤の安定供給。これらは、その国の経済と社会の成熟とともにしか育たない。頂点の知識を輸入できても、医療を支える分厚い土台までは、輸入できないのである。
■ 機器は入っても、生かせない
その土台の、物的な核心が、医療機器である。自前で高度な機器を作れない国は、先進国の中古品に依存する。日本の病院が買い替えで手放した機器が、途上国へ流れていく。
だが、機器は入っても、それを維持できない。保守の技術、修理の体制、部品、それを扱う技術者、使う医療従事者の訓練――この「機器を生かし続ける仕組み」が欠けている。だから、新品でさえ適正に使われず、善意で寄贈された機器も、保守できずに放置される。機器という物は輸入できても、それを生かす仕組みは輸入できない。医師個人とシステムの関係と、まったく同じ構造が、機器でも繰り返される。
■ 一本に畳む
発展途上国の医療は、配給の前に存在が足りず、人材は国外へ流出し、残った最上層も二流の土台の上で働き、機器は入っても生かせない。すべては、医療を支えるシステムの総体が、外から輸入できないことに帰着する。そしてこの世界を知ることは、日本の医療を別の光で照らす。日本の統制経済は、その配給の仕方に多くの問題を抱えている。だが、機器が保守され、麻酔が安全に管理され、全国民が同じ価格で同じ水準の医療にアクセスできるという、その土台そのものは、世界的に見れば稀有なほど分厚い。不満の多い日本の医療も、医療が見えない国々から眺めれば、容易には築けない達成の上に立っているのである。
