あめのもり内科

06-6872-0221

特徴

ブログ

  • HOME>
  • ブログ>
  • 統制と市場のあいだ・医療費編――医療費は・・・

blog

2026.07.02

医療費は膨らみ続けているとよく言われている。高齢化のせいではない。その理由を二つの層に分けて眺めてみたい。

■ 寿命を延ばしたのは、医療だったのか

まず、ひとつの通念を疑うところから始めたい。実は、平均寿命が延びたのは医療の進歩のおかげではないという事実である。

日本では、抗結核薬などの国民病に対する有効な薬が普及する1950年代より前に、すでに平均寿命はかなり延びていた。国民皆保険が始まる前から平均寿命は延びてきていたのである。有効な医療技術が広まった後の死亡率の低下は、それ以前の低下とほとんど変わっていない。これは「マキューン・テーゼ」として知られる議論で、近代の死亡率低下の主役は医療ではなく、栄養状態の改善、上下水道をはじめとする社会インフラなど公衆衛生的な対策だったのである。

つまり、寿命を延ばした主役は、国民生活の豊かさと清潔さであった。この事実は、医療費の問いに逆説的な光を当てる。医療費の増大は、医療が人々を長生きさせたことへの対価ではない。寿命はすでに社会の力で延びており、医療は、その延びた寿命の後半を支える役回りに回っている。

■ 高齢者医療は、本当に高いのか

では、その高齢者への医療費が、財政を圧迫しているのか。ここにも、根強い誤解がある。「人生の最期、延命のための終末期医療に莫大な費用がかかっている」という語りである。

だが、データはそれを支持しない。全死亡者の死亡前1ヶ月間の医療費は、国民医療費のわずか3パーセント台にすぎない。仮に終末期医療をすべて止めても、医療費は3パーセントほどしか減らない。さらに、死亡前にかかる医療費は、高齢になるほどむしろ少ない。若くして亡くなる人にこそ、治せる見込みに向けて手厚い医療が投じられ費用がかかる。老衰に近い高齢者に巨額の医療費はかかっていない。

高齢者医療費の総額が大きいのは高齢者一人ひとりが浪費しているからではなく、高齢者という人口層が分厚くなったからである。個々の浪費ではなく、人口構成の必然。「一人あたり」と「総数」を、混同してはならない。

■ 見えない価値――安心という公共財

ここで、数値には表せないが、無視できない一点を添えておきたい。高齢者が、必要なときにきちんとした医療を受けられるという事実は、その高齢者本人だけでなく社会の全員に、目に見えない便益を与えている。「自分も歳をとったとき、見捨てられない」という安心である。

この安心は、若い世代が、将来を悲観せず、長い人生を前向きに生きるための土台になる。医療は、治療という直接の効果のほかに、社会に安心という公共財を供給している。それは市場で取引されないため金額に換算できない。だが、換算できないことと価値がないことはまったく違う。むしろ換算できないからこそ、財政の議論では見落とされ、切り捨てられやすい。医療費を単なる支出としてのみ見るとき、この安心の価値は視界から抜け落ちる。

■ 本当の駆動因――治せなかったものが、治せるようになる

そして、医療費を最も深く押し上げているのは、高齢化ではなく医療技術の進歩そのものである。

普通の産業では、技術が進歩すると価格は下がる。同じ性能が年々安くなる。ところが医療では逆が起きる。技術が進歩するほど医療は高くなる。なぜなら、医療の進歩は多くの場合「これまで治せなかったものを治せるようにする」という形をとるからだ。治せなかった病が、ゼロだった医療費を突然生み出す。

近年、一回の投与で1億6000万円を超える遺伝子治療薬が登場した。年間数千万円の抗がん剤も、数千万円の細胞療法も次々に現れている。これらは、以前は存在しなかった医療費である。技術進歩は、費用を節約するのではなく新しく創造する。医療の需要が際限なく膨らむのは、人間の欲望が無限だからではなく、治せる範囲が技術とともに無限に広がり続けるからである。かつて死んでいた病が救えるようになるたびにそこに新しい需要と費用が生まれる。

■ 引き裂かれる、公平と財政

この事実は、ひとつの答えの見えない緊張を残す。日本は、経済力によらず誰もが必要な医療を受けられる、皆保険という公平を選んだ。高額療養費の制度により、一億円を超える治療でも、患者本人の負担はわずかに抑えられる。難病の子が、家の豊かさにかかわらず救われる。これは、公平の理念の確かな達成である。

だが、その負担は保険料と税として、社会全体に回る。技術が進歩し高額医療が次々に現れるほど、この負担は膨らむ。公平を貫けば財政が持たず、財政を守れば公平が崩れる。技術進歩は、この二つの価値を両立の難しいところまで引き裂いていく。誰かがどこかに線を引かねばならなくなる。それは、命に値段をつけ限りある財を配るという、最も重い問いである。

■ 事実として、ここに置く

医療費が上がる理由は高齢者の浪費ではない。寿命はもともと社会が延ばし、高齢者一人あたりの医療費はむしろ慎ましく、終末期医療は全体の数パーセントにすぎない。医療費を本当に押し上げているのは、治せなかったものを治せるようにする技術進歩そのものである。そして、その技術進歩そのものが、日本が選んだ公平という理念と、財政の持続可能性との両立を難しくしている。

06-6872-0221